13 洲崎寺 |
牟礼町浜北にあり、高野山真言宗の寺である。 このあたりは寿永4年の源平合戦の時は、両軍交戦の激戦地であったから、本堂・庫裏などの建築物はすべて兵火により焼失してしまったが、本尊と霊像だけは災難を免れた。 本尊の観世音は佐藤継信の守本尊であったもので、中国製の瑪瑙石に刻んであった。 能登守教経の矢によって佐藤継信が戦死したのを義経はいたく哀れんで、丁重に葬ろうと思ったが戦場のこととて何の設備とてなく、寺も焼け落ちてしまっている。 なおこの寺は、源平合戦当時は現在地から100メ−トル位東にあり、現在、寺屋敷と呼ばれている田圃の所であったそうである。 |
本 堂
鐘 楼