19 総門祉

王墓の北で琴電志度線八栗駅から近く、庵治街道の東側に、高松藩公松平頼重が、衡門(冠木門)を建てて源平の古跡を表わした。

高さ3.85メ−トルの石碑があり、傍らには久保不如帰の、「夏草やここにもひとつ髑髏」(されこうべ)の丸い句碑と、その左に不如帰の養子である故久保五峰の、「お遍路の行きつつ髪を束ねけり」の句碑がある。

総門碑の碑文には、「源平合戦総門碑記」となっているが、里人は源氏の総門とよんでいる。

源氏が平家の本営を急襲し、たちまちここが源氏の占領するところとなったので、そう呼ばれたのであろう。
元は、平家がここを上陸の地点とし、門を構えて海の防備をしたものであろう。

安徳天皇が六萬寺を行在所とした頃、海辺の守りには門を構え平家の前哨としていた所という。
「源平合戦総門碑記」については、明治36年癸卯3月1日、時の陸軍大将野津道貫の題額で、高松欣堂小史・黒木安雄撰並書と揮毫され、碑文は六萬寺縁起と源平盛衰記に拠るとある。

現在の総門の東南に木戸と呼ぶ集落がある。このことから昔はここに総門があったのではないかとの説があるが、高松藩公は世人に広く知らせるため、殊更に今の街道筋に建てたのではないかという。




総 門














句 碑




源平合戦総門碑