21 佐藤継信の墓

射落畠の南JR高徳線の北、王墓の東隣にある。
もとは今の平田池(王墓池)の地にあったが、正保2年(1645)にこの池を築造した時に、今の地に移した。

寛永20年(1643)初代高松藩主松平頼重公が建てた標石がある。

ここは継信が平教経に射られた時、義経が六萬寺の僧侶に頼んでその屍を葬った所である。

継信は福島県飯坂温泉の近くの出身であるが、義経の乳母の子で、奥州の藤原秀衡の館を出た時から、義経に付き従った股肱の臣であった。




佐藤継信の墓





佐藤氏念祖碑





佐藤継信墓道碑





全景(左正面)





全景(右正面)