27 錣引き跡

祈り岩の一帯を大砂子と呼ぶ。ここが錣引きの物語のところである。

平家の武者が三人下り立って、こちらへ来いと手招きした。

これを見た義経は、「若武者は行って蹴散らせ」と下知した。
武蔵国住人美尾屋十郎・同四郎・同藤七、上野国住人丹生四郎、信濃国住人木曾中次の5騎が駆けつけて行った。

真っ先に駆けていた十郎の馬が、盾の影から射られて転倒したので、やむなく十郎は徒歩となった。
そこへ大薙刀を振るって平家の武者が切り込んできた。このため十郎は太刀がおれたので、「これはかなわぬ」と逃げだそうとしたところ、兜の錣を掴まれて引き戻された。これは大変と力を入れると錣が千切れた。

平家の武者は、もぎとった錣を高々と上げて、
「遠からん者は音にも聞け、近き者は目にも見よ。我こそは京童の悪七兵衛景清なるぞ」
と大音声で名乗って、身方の陣に引き上げて行った。

この戦いの後で、十郎が「腕の強さよ」と景清を讃えると、景清は「首の強さよ」と十郎を誉めたという。

しかし、「源平盛衰記」では海戦で、小林神五宗行と越中次郎盛嗣の話になっている。

 

これについては、つぎのような川柳がある。

   三尾の谷帰りに襟に日が当たり  

   しころから切れずば首をひんぬかれ 

   おはぐろにしろと景清船へ投げ

 
この物語は、しばしば歌舞伎に上演されている。