29 相 引 川

昔の木田郡古高松村の北の端、旧屋島村・東潟元村・西潟元村と境を接する川である。
この川の東の潮が出入りするところが檀の浦で、屋島の麓になり昔から拓けていた。
それ故に平家はここに内裏を構え安徳帝の安堵を願ったのであろう。

また西の潮の出入りするところは、新川の川裾で土砂が堆積して干潟になっている。古くは室町時代末期からこの干潟を埋め立てて、新田が築造されたといわれている。
屋島側の山裾から相引川の北側を、潟元と呼んでいるのもこのことからであろう。

その後、両側がしだいに埋め立てられ生駒時代には、この川まで埋め立てられたが、松平頼重公により再び川を築造して旧跡が守られた。

稲作が盛んになり、田に潮の入るのを防ぐために東西の海近くに水門を建設したので潮の満干は無くなった。
現在「ふるさとの川モデル整備事業」の工事がなされつつある。

 

屋島の謡曲に「相引きに行く汐」と言うのがこの川のこと。

  敵味方引分けぬる武士のしるしか今に相引の汐   

  相引の汐干に見たり平家蟹   




東の河口付近




西の河口付近