35 明待(アケマチ) 
 

阿波勝浦に上陸した義経の騎馬隊は、大内町丹生から別働隊として東讃浜街道を屋島に向かって進軍したが、夜中に現在の牟礼南小学校南側の谷に到着したので、夜明けを待ったといわれる。
これにより、この集落を明待と言うようになったという。

現在は、明待が変化して赤松という地名を残している。