妖 怪 伝 説 
 

蛸 見 池               平尾延子氏より聞書 

昔、屋島が島であった頃、藤目に小さい池があった。

この池の堤防に、満月の晩になると蛸が海からあがってきて、小手をかざして四方を眺めていたと言う。この様子を見た村人は、誰言うとなくこの池を蛸見池と言うようになったと言う。

古老に聞くと、
「年寄り蛸が昔の源平合戦の話をしていたんか、若い蛸が近所の娘蛸の噂話をしていたんか、わしは知らん」

 

ピタピタの怪              谷口辰男氏より聞書 

琴電志度線の新川鉄橋を東へ渡って、元三軒の橋までの土手は、昔は松の木が生い茂って昼でも大変淋しい所であった。

この土手を夜更けて通ると、後からピタピタと音をたてながら誰かがついてくる。立ち止まればピタピタは止む。歩きだすと又ピタピタと音がして誰かがついてくる。とにかく、後を振り返ってはいけないことになっているので、誰もその正体を見た者はいない。

 

ササギ洗い               佐々木義治氏と鎌野松吉氏の会話より聞書 

何時であったか、大橋前源平会の新年宴会の席上で、佐々木さんと鎌野さんが話をしているのを聞いた話。
佐々木「まつよっさん、昔、お前んとこの横の溝で、夜中になったら何か洗っとるような音がするいう噂がたったの・・・」 
鎌 野「おぉ・・・、おらが若い頃、そんな話があったの・・・」 
佐々木「あれは、何の音じゃったんかいの・・・」
鎌 野「あの音は狸がササギを洗ろとった音じゃ言う、大人もおったの」 
佐々木「ほんなら、あんな夜中にササギを洗う人間はおらんけん、狸か貉が砂でも洗うとったんかいの・・・」
鎌 野「そんな、狸や貉が砂を洗うじゃいうことあるもんか、うちの東手に生えとった笹が風で鳴とったんじゃ」
佐々木「おらは、何かがおったと思うぞ」

何時までたっても話が噛み合わず、結論がでないのでこの位にしておくことにする。ササギはササゲの方言

(註)妖怪漫画家の水木しげる氏は、東北地方には昔から『座敷わらし』『河童』『小豆洗い』等色々な魔物や怪物が沢山いたという。

私は一度も出会ったことがないので、いたと言うのであればいたであろうし、いなかったと言うのであればいなかったのであろう。しかし、いたと言う方が夢があって楽しいと思うがどうであろう。

 

魔 の 道               飛倉堅二氏より聞書 

飛倉堅二氏が十五才の頃は、大阪の家が空襲に遭遇して、母の実家がある川島町に住んでいた。

その頃は、まだ何処の地域でも助け合いの風習があって、冠婚葬祭等は必ず近所の人達が手伝いするのが常であった。

この頃、堅二さんのすぐ近くの家で、事情があって離婚して実家に帰ったが、何故か毎日暗い部屋に閉じ籠り、何かしら物おもいにふけっている青い顔色をした娘がいた。

ある日この娘が突然いなくなる変事が起きた。

この時、堅二さんの父が抜き差しならない用事があったので、風習に従って父に替わって捜索係りの一員となって参加したことがあった。

捜索係りの世話人頭は彼の叔父で、

「こんな場合は、何人かグループになって、魔の道を通って捜索するものである」という注意が叔父からあって、近所の人達と初めに由良山に登った。提灯を手に手に持った人達は、「戻せ・・、返せ・・」と叫びながらくまなく山の中を捜索した。高く低く暗い夜空に響く呼び声は、人々の哀愁をさそったという。山では見つけることができなかったので、捜索区域を広めるために川島町を出発した。春日川の左岸の家々に立ち寄りながら、娘の消息を尋ねて北へ進む。

しばらくすると川の中を横切って右岸に渡り、又、家々に立ち寄って進む。左岸右岸と何回も繰り返しながら新田町に入り、暗い中を魔の道の道標となると言われている、屋島の天狗松を目指してタダノ鉄工の横の溝に沿って進む。屋島地区に入っては何処を通ったか忘れたが、屋島を出て福岡町を過ぎ西浜町で探して、高松の石清水八幡宮へ行くと、昨日そのように見える娘が絵馬堂にいたとの情報を得たので、翌日再び石清水八幡宮に訪れると、果たして憔悴しきった姿で発見された。

家に帰った後も誰に会うこともなく静かにくらしていたが、間もなく亡くなった。なんと悲しい結末でなかろうか。

(註)このように、突然理由もなく家出するのは、昔から『神隠し』とか、『天狗にさらわれる』と言われているものだろう。
大橋前地区にも、『魔の道』はある筈であると思うがどうであろう。  

 

高 坊 主               藤川 厳氏より聞書 

だいぶ前のことになるが、少し高台にある旧屋島醤油会社の近くの西山さん宅辺りで高坊主が出るという噂がたったことがある。

何処に出る高坊主も同じであるが、ここの高坊主も、見上げれば見上げる程高くなって、見た人を見下ろしていたという。

これは何人も見た人がおるので、本当に出ていたのであろう。

 

北石場の高坊主             藤岡 喬氏より聞書 

昔々、北石場の藤岡 喬氏の裏の藤岡氏所有の藤岡堀池の辺りを、夜遅く通ると高坊主が出て、地域の人を驚かしていた。これを心配した喬氏の先祖が、池の南東の堤防上に、小さい後背舟型不動明王石像を建立して供養したところ、それ以後は出なくなったと言う。

 

魔 物 道               知らない人より聞書 

高台にある旧屋島醤油会社から南へ、又、東へ細い通路がいりくんでいて、この辺りは一回行った位では判りにくい所である。

何時の頃からか、この中の一本の道は魔物道であると言いだしたことがある。

何処の地区にもこの種の道はあるらしいが、これは不幸な事件があった家の前の通りを言うらしい、と言う。

 

魔 物 通 り             藤川シズ子氏より聞書 

八坂神社の東の高杉果物店のすぐ東側を、地蔵寺に向ってダラダラの坂道がある。この道をしばらく行くと、右側に山本工務店がある辺りを魔物通りと言うらしい。

これは、昔この辺りを夜中に通った人が、あまりガヤガヤと騒ぐような賑やかなざわめきが聞こえてくるのでよく見ると、地蔵寺の方から七福神が下りてくるのが見えた。これから誰言うとなく、この辺りを魔物通りと言うようになった、ということである。七福神を何人も見ているので、確かなことであるそうな。

 

高 坊 主               山田守廣氏より聞書 

昔、斧神社(木割権現とも言う)が八坂神社の御旅所にあった頃、ここに、白い着物を着た高坊主が出るという噂がたったことがある。その頃、この辺りには、毎晩夜泣きうどんの屋台が来ていたが、ある時チョットしたスキにうどんや揚げ物などを、全部食われたことがあるので、高坊主が白い着物を着ているのは不思議でないが、もしやあれは狸でなかっただろうかとも言われている。

 

高 坊 主                山田守廣氏より聞書 

元屋島醤油会社の近所の西山さん宅の裏に、大きい高坊主が出たとの噂がたったことがある。  

ここの高坊主は何人も見たという人がおるので、この辺りは皆恐ろしがって、夜は通らなくなったという。

あれは狸が化けて出るのだ言う人もいたが、本当は何だったのだろうか。

 

三軒の落し橋の小豆洗い         山田守廣氏より聞書 

通称三軒の橋に、昔、小豆洗いがおった。小豆洗いというのは、夜遅くその場所を通ると、小豆を洗うような音をさせるので、このように言われている。狸の仕業でないだろうかとも言う人がいた。 

(註)落し橋とは、昔この辺りは塩田があって塩や叺を搬出するために、この辺りまで船が上ってきていたので、その船が出入り出来るように、橋の両端は石造りの橋にし真ん中を板をわたし、船が来た時は板をずらして出入りが便利なように作ってある橋のことである。

 

ナマメ筋(魔物通り)          三野ツタヱ氏より聞書 

八坂神社の東の高杉果物店の東側を、地蔵寺に向って坂道を登ると、通称三軒屋と言われていた所に、昔、麹屋があった。この麹屋の裏に倉があって、この辺りは木が生い茂って昼でも淋しいところであった。人々はこの辺りをナマメ筋と言っていたが子供は特に怖がっていた。

このナマメ筋に猫を捨てると、何故か二度と家には帰ってこなかったと言う。ナマメは、ナワメと言っていたかも知れない、随分前のことだから忘れたそうである。

 

音のする坂道              三野ツタヱ氏より聞書 

藤川理髪店の前の坂道を登った所は、夜中に通るとチンチンチンチンと音が聞こえたと言う。何故だかわからないそうである。

 

高 坊 主               三野ツタヱ氏より聞書 

昔、屋島醤油会社があった付近に、高坊主が出るとの噂がたったことがある。

 

小豆洗い                三野ツタヱ氏より聞書 

高杉果物店の東側を地蔵寺に向って登り、ツタヱさんの家の東の大谷川に、昔、小豆洗いがいたと言う。現在大谷川は、降雨量が多い時のみにしか流れがないが、その頃は、水量が多く何時も流れていたと言う。

 

飛石の怪                青木正彦氏より聞書

昔、浜北と浦生の境を飛石(地名)と言っていた。

この頃、浜北と浦生は、干潮の時、飛石をつたって往来していたが、満潮でここを通れない時は、ひる尚暗い細く気持ちの悪い山道を、松の木をつたいながら往来していた。

ある時ここを馬を通そうとしたところ、転倒して崖下に転落して死んだという。

それから、この谷を馬ケ谷と言うようになったそうである。

この頂上に縦長の石が建てられていて、その時死んだ馬の墓だと言う。

 

高 坊 主               橋本義國氏より聞書 

昔、屋島醤油会社の近くの西山さん宅の裏に、大きいモクの木があって、そこに高坊主が出るとの噂がたった。この辺りは樹木が生え、一面に竹藪があったので、恐ろしがって皆がこのように言っていたのであろう。

 

琴電志度線屋島駅の怪         大西シゲノ氏より聞書 

昭和三年頃のこと、大宮八幡宮の秋祭に大坂の姉が来ると言うので、昔、東条産婦人科病院があった所から五米位の側にあった、屋島駅まで提灯をつけて迎えに行った。

すると突然、何かに憑かれたように、側のヘドロで一杯の水路に入って歩いていた。一緒に行った姉に声をかけられたので我に返ったが、新しく買って貰った下駄が、泥まみれになったのが、悔しかった。

これは狸の悪戯だったのかもしれない。

 

檀の浦の高坊主             藤岡元栄氏より聞書

かなり前のことになるが、檀の浦の豆腐屋の前に、高坊主が出るという噂がたったことがある。

ある夜、世間の人皆が寝静まった真夜中に、パタパタと大きい音が家へ近づいてきた。豆腐屋のおばさんが目を醒まして、表の戸を開けると、目の前に暗い空から降ってきたように、太い物が地面に立っていた。    

びっくりしてよく見れば足のようである。

「あんた、あんた・・・、化け物が出た・・・」

「そんなことがあるもんか・・・、裏も見てみ・・・」

恐る恐る裏の戸を開けて見ると、表と同じ物が目の前にある。主人も起きてきて夫婦が表に出て我が家を見上げると、暗い夜空に白い衣を着た高坊主が家を跨いで突っ立って、檀の浦の海を眺めていた。

これを見たトタンに豆腐屋の夫婦は気絶してしまった。

またいつかの夏の日の真夜中に、豆腐屋の裏の堀で、誰かがザバザバと大きな音をさせながら、水浴びしているようなので、豆腐屋の夫婦が出て見ると、この前に家を跨いでいた高坊主が、暑さに耐えられず、裸になって水浴びしていた。

今度もびっくりはしたが、二回目なので気絶はしなかった。

近所の人々はこの現象を、狸の仕業ではないだろうかとも言っていた。

 

ナマメ筋                藤岡元栄氏より聞書 

ナマメ筋とは、何処の地区にでも一本はある魔物道のことで、檀の浦にも昔細い一本のナマメ筋があった。

ある晩遅く、ここを自転車で通りかかった男の人の前に、美しい娘が現れて、

「おじさん、牡蠣船へ一緒に行きませんか」と誘われた。

「そんなとこは行かん」と断り、更に進んで道の端で立小便をしていると、ザバザバと音が聞こえてくる。道の端の筈だが、

「さて・・・、ここは何処だろう」と気がついてみると、何時の間にか海岸に出ていて、波打ち際で小便をしていた。

こんなことがよくあったので、地元の人達がお坊さんに御願いして祈祷をしてもらったところ、それ以後は出なくなったと言うことである。
(註)牡蠣船とは、牡蠣が美味しい時期になると、料理人や仲居さんが乗り込んで広島から船でやってきて、船内で牡蠣料理や酒等を提供していた料亭のようなもの。高松では戦前まで、仙場川に架かる新橋の北側の両岸に、二隻の船がきていた。

 

山の神さんの下の怪           高橋 都氏より聞書 

昔、屋島一円では、下草刈りや、コクバ掻きの鑑札を貰って燃料を作るために、山に出かけて行ったものである。

石場地区でも同じように山へ行っていたが、薄暗くなって山の神さん下を通ると、誰かが立っているような気がした。

又、本当に若い娘が立っている時もあった。

この現象は何人も経験しているので嘘ではないと言う。

(註)これは、何処の地方にでもある、妖怪の仕業でなかっただろうか。

 

石場の小豆洗い             高橋 都氏より聞書

都さんが小学校の三、四年生の頃、用事があって、お婆さんと竹藪が生い茂っている細道を通っていると、横の水路からザラザラという音が聞こえてくる。
「お婆さん、あの音はなんな・・・」
「おぉ・・・、あれはの、小豆洗いが小豆を洗ぅとんじゃ、お前もここを通る時は気をつけないかんで・・・

このことがあってから、なるべく通らないことにしていたが、どうしても通らなければならない時は、何時も早足で通り過ぎていたと言う。   

ここでこの音を聞いた者は、何人もいると言う。

 

 雷 二 題

その1                 石場のお婆さんの話 
孫「お婆さん、なんか話して・・・」    
婆「そんなら、雷の話でもしてやろうかの・・・。昔々、屋島村の石場部落の金持ちの家の庭の大きな木に、雷さんがあまったんじゃと」
孫「それでどしたんな」
婆「まあ、だまって聞け。そんでの、・・・あまって尻餅をついたんで、雷さんは慌てて、太い木を登って天へ帰って行ったんじゃと」
孫「そんで」
婆「今でも、あそこの家の大きい木には、雷さんの爪跡があるじゃろが」
孫「雷さんは、電気じゃと学校で習ったで・・・」
婆「アホ言うな、雷さんは電気がまだ無かった時からおるんじゃ」

 

その2                 山地のお爺さんの話 

昔々、屋島西町が西潟元村といわれていた頃、氏神様である天王さんの太い大きいモクの木に、雷さんがあまった。

大きい音がしたので近所の人が、こんな天気が良いのに何事だろうと、急いで天王さんへ行ってみると、小さい雷さんの子供が天へ帰ろうとして、モクの木に抱き付いている。これは珍しいものを見つけたと、掴まえようとしたが、なかなか掴まえられない。たまたまここを通りかかった人が手伝って箱の中へ入れて、皆を呼びに行っている間に、細いモクの木をつたって天へ帰ってしまった。

(註)八坂神社は、牛頭天王を祀っていたので、昔は天王さんと呼んでいた。落ちたことを方言で、「あまった」と言う。