狸 伝 説 (2) |
1)砂投げ狸 藤川シズ子氏より聞書 シズ子さんが花も恥じらう十八才の春、(今は八十二才)宮前で芝居を見ての帰りに、中筋の西山さんの裏を通りかかると、かねて噂の狸に砂をぶつけられたと言う。
2)砂投げの噂 天野龍鳳師より聞書 小学校四、五年生の頃であったから、大正十一年か十二年頃、寺の広島釜が壊れて下の風呂屋へ行く途中にあった屋島醤油社の辺りは、昔、鬱蒼とした竹藪であった。 この竹藪に砂をかける狸がいたそうである。と言うのは、住職は一度も砂をかけられた経験がなかったからである。 砂をかけられた時は、恐ろしがらず平気な顔をしていないと、狸が面白がっていくらでも砂をかけ続けると、大人達が言っていたそうである。
おかんの池の狸 川田忠義氏より聞書 昔、東山地の磯部さんの上に池があった。この池の周囲は笹が生えていて、人々は『おかんの池』と呼んでいた。 池田嘉次郎さんが、夜おそくなって、この池の土手道を通っていると、美人の娘が出てきて、 嘉次郎さんが、蓮池の棒杭に取縋って、 これは、助けた長一さんからの又聞きの話であるから実話だそうである。
東山地の狸 大西シゲノ氏より聞書 昔、山の上の佐々木金五郎さんが、婚礼に招ばれて沢山の土産を頂戴して家に帰る途中、狸が出てきて土産を盗られそうになったので、クンズホグレツの大喧嘩になった。 さすが体を鍛えた金五郎さんは、いかに狸が化かそうとしても勝利の凱歌をあげ、無事土産を家へ持って帰ったと言う。 また、その喧嘩の様子を逐一見ていた人がおったと言う。その人は、本当の人間であったか、狸が化けた人間であったかは、さだかでない。
新馬場の池の狸 大西シゲノ氏より聞書 今はもう無くなったが、昔、大宮八幡宮の御旅所を少し上った西に、小さい池があった。 この池の竹藪に沢山の狸が棲んでいたそうである。 ここの狸は人間を騙したことはないそうである。
新馬場の馬場池の狸 大西シゲノ氏より聞書 昔、大宮八幡宮の参道の東にある馬場池は、竹藪の生い茂った池で、この池の土手道を、大提灯をぶらさげて歩く狸がいたそうである。 この様子を見た人がいたと言うから本当の話であろう。
新池の狸 平田謙三郎氏より聞書 昔は屋島のあちこちに、沢山の狸が棲んでいた。 屋島神社の参道の東側にある、新池を少し下がった所の西側の水路にも狸はいた。ここの狸は夜遅くなって通る人に、砂をぶつけていたと言う。
潟元塩田の狸 藤岡元栄氏より聞書 昔、入り浜式塩田があった頃、塩田で働く人達はみんな交替制の勤務であった。 その頃ある従業員が、交替のため暗くなって家を出て、浜の明神さんの所に来た時、娘狸に化かされたと言う。 昔から牝狸が藻葉をかぶると、娘に化けると聞いていたが、その様子を見ながら化かされたと言う。その化かされ具合は、聞いていないのでわからない。
お染狸と八太郎狸 藤岡元栄氏より聞書 昔々、可愛いお染狸は、安徳さん(檀ノ浦神社)に棲んでいた。又、八太郎狸は、近くのソバクラさんに棲んでいた。 お染狸は人間にたいして特別の神通力がなかったので、お供物が上がることが少なかったし、悪戯をして人間が持っている食物を、化かして盗むこともしなかったので、何時もお腹をすかしていた。 八太郎狸は御願いすると、出物や鼻垂れを直していたので、お礼に大好きな小豆飯や油揚げのお供物が上がるので、お腹をすかすことがなかった。そして、二匹は相思相愛の仲であったから、夕方暗くなると、お染狸に八太郎狸がお供物の小豆飯や油揚げを、届ける姿をよく見たそうである。 ある時、八太郎狸にあまりお供えが上がらなかった頃のある日、木村のご隠居さんが婚礼によばれて、沢山のお土産を貰い、酔いも手伝ってか良い機嫌で鼻歌を歌いながら、安徳さんの側の水路辺りまで帰ってきたところ、狸に化かされて土産を全部盗まれてしまった。 翌日になって見ると安徳さんの境内に、食べ滓等が散らかっていたという。八太郎狸が盗んでお染狸に持って行ったのだろうと、皆が囁きあったということである。
石場の狸 高橋 都氏より聞書 石場のある男の人が、婚礼のお土産を沢山貰って、夜遅く小林さんの所の四辻を下におりて、我が家に向かっていると、知らぬ間にお土産は全部盗まれて、気がついたら浜辺で寝ていたと言う。 これは狸の悪戯であったと人々は噂していたが、この辺りで油揚げを盗まれることは、常のことであったらしい。 又、ある時、都さんの家の上の谷さんが、昼でも危ない細道を夜中に自転車で通って、気がついたら小林さんの下のガラバで寝ていたと言う。 これも石場の狸の悪戯であったという。考えてみるに、石場の狸は、物を盗んだうえに、被害者を眠らせるというから、かなりの悪戯狸であったらしい。
本家裏の狸 山田守廣氏より聞書 石場の分家の藤岡九市郎さんが、本家の藤岡与三郎さんから法事に招待された。 たらふくご馳走になり、沢山のお土産を頂戴して帰る時、本家の裏の竹藪の側を通ったら、手に重い筈のお土産がない。 これは、近頃この辺りに出る狸の悪戯であったと言う。
飛石の狸 山田守廣氏より聞書 昔、屋島一周道路がなかった頃、浦生と浜北の境は断崖絶壁で、すぐ海が迫っていたから、浦生の人や浜北から南の人は潮の干潮時をねらって、海岸の岩を渡って往来していた。だから人々はこの辺りを飛石と言っていた。 このような状況であったから、帰りが遅くなって潮が満ちてくれば、一晩宿泊しなければならない程、浦生は不便な所であった。 この飛石の崖の上に狸が棲んでいて、人が岩を渡っておると、上から砂を投げかけたと言うことである。
醤油会社下の牝狸 観寺政子氏より聞書 政子さんのお父さんが屋島醤油会社に勤めていた頃、と言うからかなり前のこと、醤油の仕込みの作業を終って、夜遅く帰途について水路の横を通っている時、水路の中で何か洗っているような音がする。 辺りは暗くなっているし、こんな遅くに誰だろう『小豆洗い』かと覗いて見ると、美しいどこかの若奥さんが何か洗っている様子。 これはてっきり、最近この辺りに出ると言われておる、牝狸が化けた若奥さんだろう。それならば、掴まえて家に連れて帰ろうと、後ろの腰帯をしっかりと掴んだ。 すると若奥さんが、
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