道  路

     

国道11号線

共用開始    昭和44年11月26日

新川大橋完成  昭和44年10月

県道155号線 牟礼中新線(旧国道11号線・通称観光道路)


 藩制時代生駒氏が、屋島の南部を干拓して陸地としたという記録があるので、この頃現在の道路の原型はほぼ完成していた

ものと思われる。

 大正9年内務省所管の国道22号線として共用が始まる。

 昭和9年頃から昭和10年頃にかけて、木太村州端から徳島に向けて改修工事が始まる。この時は新川・春日川・詰田川の

三橋の架け替え工事を実施し、部分的に舗装工事も施工したらしい。

 昭和12年7月7日 日華事変が勃発したため、改修工事が中止となる。

 昭和28年に国道11号線と線名が変更となる。

 昭和49年国より県へ管理が移管され、県道115号線と線名が変更となる。

 

高松市屋島出張所より西へ佐々木光雄氏宅前までの道路昭和51年2月13日共用開始

昭和62年3月31日 一部改修し全面開通