八坂神社秋季例大祭の奉納物
獅 子 舞 い 大橋前地区の八坂神社秋季例大祭の奉納物は、明治35年頃より大正5年までは獅子舞いであった。 鎌野松吉氏によれば、獅子舞いでは、14才か15才位までは獅子について歩くだけで、その年齢を越す頃に、やっと鐘の練習をさせてもらえた。鐘を叩くのが一人前になれば、今度は太鼓の練習をし、18才か19才になって、将来見込みのある者だけが、初めて獅子の舞い方を教えてもらえた。 獅子は頭が重いので腕力と、鐘太鼓に合わすので勘が必要であり、殊に宮使いといって社前で舞う時は、他地区との競演となるので、地区での一二の使い手が舞った。 このように、一人前となるのには年数と精進が必要であり、獅子舞いに参加できるのは少人数であったので、青年会の意見をいれて太鼓台を購入することにした。
太 鼓 台(チョウサ) あまり練習を必要とせず、ぶっつけ本番でも運行が可能な太鼓台を購入することになり、牟礼村薬師の三野平十郎氏の斡旋で、大正6年に小豆島より飾りの立派な大きい太鼓台を購入した。 ところが、担ぎ手の少ない大橋前の青年会の若い衆では、その重さに運行が困難であったので、子供2人乗りの小型にすることにして、昭和2年夏売却して、屋島小学校下の二つ池の下の大工村上氏に製作を依頼した。 この頃、小学校1年生であった藤村義宜氏(大正8年生まれ)は、学校からの帰りに、 地区民の願いを込めた太鼓台は、昭和2年の八坂神社の秋季例大祭には間に合って、晴れやかに運行することができた。 この先輩が願いを込めて造った太鼓台も、56年を経過して寄る年波に勝てず、相当ガタがきていたので新調することになった。
太鼓台の新調 大橋前自治会・大橋前青年壮年部・大橋前親子会 共著 旧太鼓台は昭和初期に町の古老、有志の熱意と敬神の念、又、郷土愛により製作されて以来六十年の永きに渡り町内の「心の故郷」「結びつきの要」として幾多の深き思い出を綴ってきました。このように永い伝統と親しまれた太鼓台の朽ちるのがしのびず、又、秋祭りの伝統ある行事の参加を将来に引継ぎ後世に残すため、自治会総役員会・青壮年部・子供会の合同部会が持たれました。この席において太鼓台を新調することを前提として調査した 結果、新太鼓台は「手造り」によるもので、経費は自治会会員全員が負担するのが最善ではなかろうかという案にまとまり、当大橋前自治会会員の方々の御理解と御賛同を得て出来上がりましたのがこの太鼓台です。以下この太鼓台を製作し奉納するまでの概要をのべます。 近隣自治会の太鼓台を調査することから始めました。最近太鼓台を製作した「新田町の公文」「庵治松尾」藤目」「浜中」「牟礼浜」等、各自治会にお願いして太鼓台を見せていただき、製作時の苦労話や注意事項を聞かせてもらったり、写真撮影、構成や形状、装飾品、配色等を調査し、又、祭りの当日を撮影した八ミリも借用できました。 太鼓台製作の本場である淡路島へも足を伸ばし、専門家の側からの意見を聞いたり、製作過程も勉強したりしました。調査の途中、太鼓台は淡路島式(屋根の下に廻りぶちがあって彫り物がある)と小豆島式(屋根の下に接して彫り物を配置する)があるという事も知りました。これ等の調査資料をもちより、何度も会合を開き、比較検討をくりかえした結果、太鼓台の基本構成を考えるに足りる知識を身につけてゆきました。 そこで 1 大金のかかった立派なものをそっくり購入するのもよいが、素朴でも地域住民の「心のふるさと」となるような意義あるものにしたい。 2 その為には住民の総意を得、できる限り手作りとする。 1 太鼓台本体は四人乗りにする。 2 太鼓は昔の良い物にしたい。 4 棒の長さは町内の道路事情を考慮する。 5 柱の断面はより大きく見える正方形を採用。 本体・・欅 棒・・桧 屋根・・竹すだれ 車台・・桧 乗子・・四人 着物・・絹
ちよんな入式・・・五月二十三日 竣工式・・八月二十八日 御披露目・・・・・九月十八日 奉納・・・十月二日 太鼓台の屋根一つをとっても、本体の大きさと屋根形状のバランスの決定には、ああでもない、こうでもないと試行錯誤のくりかえしで本当に苦労させられました。屋根の丸みは竹すだれが良いという事で、竹の採取竹割りの段階でまず泣かされ、編み上げでは締め加減がわからず、紙張りでは変形に悩まされました。布団では多種多様の布と色からただ一つの物を選出するむずかしさがあり、又、屋根の丸みに合う製縫過程では、何度も仮縫いをやりました。欄間では、図案を何度も練り、何度もかき、欅の堅さに驚き、彫刻刀の一ふりにも手がふるえる始末でした。数えあげればきりがない苦労も、町内有志の方々の指導により、一つずつ克服したのです。このようにして、幾多の困難をのりこえました。地域住民の総意の結果である新太鼓台は、これからも毎年祭りに参加し、沢山の方々の手に支えられ続けることによって「心の故郷」となり、「結びつきの要」としての役割りを立派に担ってくれる事と信じております。 |