百 石

 

大橋前自治会の地区内における百石地域の面積は、地区全面積の約半分はあるだろう。

この百石といわれる区域は、西は新川の東堤防より東は口銭場川の西堤防まで、北は相引川の南堤防から南は旧観光道路(県道155号線牟礼中新線)の北側までで、その内、タダノの前から屋島登山道に接続する県道14号線屋島公園線から東は、百石自治会に属し、その他は大橋前自治会に属している。大橋前自治会に属している地域の内、県道150号線屋島停車場屋島公園線から、新川東堤防までは通称新端と言われている。

百石という地名は、古老の語るところによれば、昔この地域で米が百石しか穫れなかったので、この名があると言う。

又、高松町の原田暹氏の友人である某研究家によれば、昔は農耕技術が一様に低級であり、特に百石地域は干拓地であるため塩害は免れなかったので、この土地の収穫高は、米が1反(10a)に1石で、比較的広大な土地でありながら、百石しか収穫出来なかったということで、『百石』と地名がついたのだろうということである。昔は一面田圃で、洪水の時は遊水池の役目を果たしていた百石地域も、太平洋戦後は高松市のベットタウン化が進み、今では住宅街に変貌している。

 

 

 百石地区宅地造成

昭和45年頃より宅地造成が開始され、昭和48年より昭和51年にかけて造成が盛んに行われる。