各 種 教 育 機 関

 

今日では、屋島にはかなりの数の各種の団体があるが、昔はどんな趣旨で、どんな団体が結成されていたか考察してみよう。

 

 屋島実業補習学校

大橋前地区は昔海底であったからか農地は少なく、屋島全体でも純農家は僅か2割程度であり、農業に意欲がある者は、隣村に耕地を求めなければならない状態であった。

その反面塩業はかなりの発達をみていたので、これを本業として従事する者が多く、本来の農業はなおざりにされる傾向にあったので、これを改良発達奨励させるため、明治44年4月5日潟元尋常小学校に補習学校を付設した。

 屋島青年訓練所

一旦緩急あれば、国難にはせ参じる青年を養成しておこうと、大正15年7月1日屋島尋常高等小学校に、屋島青年訓練所を併設。 教科書は、教練教本として、新青年訓練教本・青年訓練指導草本。職業関係として、農業では青年訓練農業教科書、塩業では塩業全書があり、通常の教科書としては、国語・数学・地理・歴史・理科があり、これを習得するために新青年訓練読本があった。

この訓練所は、主として軍事教練の教育を目的としていたので、下記のような備品類も備えていた。

 訓練銃

 擬 銃

 帯 剣

 背 嚢

 喇 叭

 指揮刀

 手 旗

 

  50

  70

  50

  40

   8

   3

  60

 標 的

 幕 的

 白 帯

 書 籍

 信号銃

 

 

  12

   5

  60

  20