屋 島 の 民 情 と 風 俗 習 慣

 

昔と言ってもよい程の昔、屋島の先人の遺稿に屋島の民情風俗習慣が次のように書かれている。

これが書かれた時代は昭和10年頃であるから、太平洋戦後は世情も民情も大きく変化したので、「その通りである」との評価をするには問題があるものの、昔の人の考え等の一端を覗けるのではないかと、あえてここに紹介する。

 

民情  長所 動作軽快にしてことに敏なること。

早起きの習慣のあること。

        淡泊にして執拗ならざること。

        負けず嫌いの風あること。

        怜悧にして器用なること。

     短所 自己本位にして共同団結心乏しきこと。

        小膽にして猜疑心強きこと。

        一定の識見なく付和雷同の風あること。

        零細の金銭を軽視して貯蓄心乏しきこと。

        報恩感謝の念乏しきこと。

        職業は重んじるが学習を軽視すること。

        衣食美にして住に粗なること。

        熱し易く冷め易きこと。

風俗習慣   

町民の生業状態が一様でないので、風習も趣きも異にしている。

浦生のように船乗り業者が多く、阪神地方との交渉が深い所では、一般に家庭生活が裕福で、衣食住共に華美である。

屋島(屋島東町)では、農業者が多く、高松との接触が少ないので、人情は純朴で同情心に富むが、一般に質素倹約の美風がある。

 

(評)太平洋戦後は、高松市との接触は屋島東町も西町と同様であるが、比較的農家が多く今でも人情は純朴である。

東潟元(屋島中町)・西潟元(屋島西町)のように塩田業者が多い所は、一般に覇気に富み言動活発で元気旺盛であるが、太平洋戦後は、製塩法が入り浜式から流下式になり、その後は画期的な製塩法となったため、塩田は廃止されているので、風俗はどのように評価すればよいであろうか。