民 話

 

いたずら狸             語り部 江浪雪雄 

昔々、西潟元村の産土神である牛頭天王社(屋島の八坂神社)の御旅所に、太いモクの木があって、その根元の腐った洞穴に狸が棲みつくようになった。

ある日、お爺さんがお婆さんに食べさせようと、狐寿司を買ってこの所へさしかかった時、

   「お爺さん、何持っとんな」 と人間に化けたいたずら狸が出てきた。

   「おぉこれか、お婆さんに食べさせようと、狐寿司を買うて帰るとこじゃ」

   「ほーな、お婆さんが喜ぶだろの・・・」

こんな話をしている間に、

狐寿司は小石にすり替えられ、お爺さんはすぐ横の大谷川に投げ込まれて、泥もぶれになっていた。

 

不動さんの狸            語り部 東原末義 

大橋前の不動さんのお堂が、桝谷本家の前にあった頃、お堂と桝谷さんの間の細い道路に大勢の狸が集まって、提灯行列をしているのを見たことがあるという。

 

焚き火をする狸           語り部 高杉イサエ 

現在、四国電力学園と屋島総合病院がある所は、そのズットズット昔は田圃であった。その頃、相引川の北側の土手は、昼でも薄暗い程の松が生えており、沢山の狸が棲んでいた。

ここの狸は、仲間を誘って時々この土手で焚き火をしていたという。これは実際に見た人から聞いた話であるという。

 

大橋の牝狸             語り部 林 仲二 

昔々、相引川に架る大橋の東側の不動さんのお堂辺りに、可愛い牝狸が棲んでいた。この狸はやさしい娘盛りの牝狸で、夕方になると大橋の東側に現れ、村の若い衆を喜ばせていた。

このように奉仕の精神が旺盛な狸であるから、これを見ようと夕方になると、若い衆がこの小さい石橋の大橋に集まってくる。頃合を見計らって娘に化けた牝狸が現れ、着物の裾を捲りあげて、皆の方へ向いて相引川を一またぎする。少しでもほめようものなら、益々股を広げる。

これは昔のことで、近くに住んでいるがまだ見たことがない。

 

明神橋の狸             語り部 鎌野松吉 

タダノの前の旧国道11号線(通称・観光道路)を横切ったら屋島登山道に続く。昔々、この交差点の辺りの道路は舗装していなくて、田圃が続き民家は一軒もなかった。

この旧国道の北側の路側は水路が走っていて、二間くらいの小さい土橋が架かっていた。そしてこの橋のことを人々は明神橋と呼んでいた。 

この橋にいつの頃からか、娘に化けた狸が出るという噂がたった。一度見てみたいものと、夕方暗くなって松吉さんが出かけて行くと、噂どおり娘が南の方を向いて立っていた。

こんな話をすると、

   「その娘は美人であったんな」 とよく聞かれるが、

暗がりの中で見たのであるから、ハッキリと美人であったと返事ができないが、とにかく後ろ姿は美しかった。

狸が化けることはないと思うだろうが、私がほんとうに見たのだから間違いはない。

 

絣の着物の好きな狸         語り部 鎌野ヨシヱ

「わたしが、うちのおっさん(久吉さん)と一緒になって間もなくのことであったから、だいぶ前のことだが・・・」

次のような話をしてくれた。

その日は、久吉さんが当番であったから、夕方暗くなって家を出て、いつものとおり、家のすぐ横の松の木が沢山生えている、新川の東土手を通って南へ行き、氏部さんの少し手前辺りまで来ると、後ろから誰かがついて来るような気がした。

振り向いてみると絣の着物を着た可愛い娘がついて来る。

観光道路(旧国道11号線)に出て、新川橋を西に向かってもまだついて来る。

「あんた、何処まで行くんな・・・」 

尋ねてみたが何も答えない。

   「まぁ、ええわ・・・」 

観光道路から春日川の西土手を春日塩田の方へ切れ込んだ辺りで後ろを見ると、何時の間にやらかき消すようにいなくなっていた。

久吉さんは、

   「あれは近ごろ噂になっている、絣の着物の好きな牝狸だろう」

と言っていたということである。

 

新川鉄橋の狸            語り部 天野和子  

昔、JR高徳線の新川鉄橋辺りには、沢山の狸が棲んでいた。ここの狸は時々集まって、鉄橋の東側の線路道を提灯行列をしていたという。こんな情景を、新川橋の東側の千葉のうどん屋のお爺さんが度々見たと、話してくれたことがあると言っていた。

(筆者註)狸の提灯行列は、狸が自分の金玉を担いで歩いている姿を、人間が見てこのように言うのだそうである。昔から狸の金玉八畳敷きといわれるが、本当は一畳半であると聞いたことがある

 

御神灯の狸庵治の魚売りを化かす   語り部 鎌野松吉 

この御神灯は、現在不動さんの敷地内にあるが、昔、佐々木食料品店の北前あった頃の話である。ずっとの昔、庵治から毎日魚売りがこの御神灯の辺りへ来ていた。

ある日、いつになく全部売り切れてしまったので、機嫌良く近くのオキヨさんの酒屋で一杯ひっかけたが、何のはずみでか御神灯の火袋に頭を突っ込んで、頭が抜けなくなってしまった。

近くの人がこれを見て、

この頃御神灯に棲みついた狸に化かされたのだろう

と噂しあったそうである。

 

御神灯の狸塩売りを化かす      語り部 佐々木義治 

明治38年に塩が専売制になる前は、自分で塩をつくり自分で売っていた。このためこの頃は、遠くは阿波まで行商に出かけていた。

ある日、一人の塩売りが、今日は思いもかけずよく売れたと、一杯飲んで良い機嫌で大橋前まで帰ってきたところ、どこでどうなったか分からないまま御神灯の火袋に頭を突っ込んで、

   「アア、綺麗じゃ、面白いわ・・・」 

と言いながら、顔を血だらけにして、足をバタバタさせていたという。

これは近ごろ、この辺りに棲みついた、狸に化かされた姿であったという。                   

 

御神灯の狸行商人を化かす      語り部 山田守廣 

昔、屋島の塩業に携わっていた人達は、出来上がった塩を讃岐は勿論遠くは阿波まで行商に行っていた。この頃のこと、ある屋島の塩売行商人が、阿波へ出かけて塩を売り切って帰りが遅くなり、暗くなって屋島へ帰ってきた。

大橋前まできた時、なぜか佐々木の勘さんの北前にある、御神灯の火袋に頭を突っ込んで夜が明けてしまった。

そこへ浜仕事に行く友達が通りかかって、

「おい、何しょんじゃ・・・」

   「面白いノゾキが出来よんじゃ、お前も見てみ」

これはまさしく、御神灯に棲む狸のいたずらであった。

 

夜泣きうどん屋を化かす狸      語り部 藤川シズ子 

昔、大橋前に夜泣きうどんの屋台が、佐々木の勘さん宅の北前の、御神灯の辺りに毎晩店をだしていた。このうどん屋の屋号は『ふじや』で、木枯しの吹く冬ともなれば、

「ふじやーごようー」

と長く尾を引く売り声が寂しく聞こえたが、又、それが食欲をそそったものであった。

ある日、この屋台の親父が何を思ったのか、御神灯の火袋に頭を突っ込んで抜けなくなった。

バタバタとあがいているうちに、何かのはずみでスッポリ抜けた。

   「やれ、やれ」 と思って屋台を見ると、 

うどんや揚げもんがすっかり何者かに食われてしまってたいた。

これを見た土地の人は、

「大橋前には昔から狸がようけおるんで、化かれたんとちがうか ・・・」

と言っていたという。

 

足まがりの狸            語り部 藤川 巌

昔、琴電志度線の潟元駅が新川鉄橋の西にあった頃、この駅のあたりに足まがりの狸が棲んでいた。足まがりとは、あまりにも人に馴れ親しんで、人が歩いていると足にジャレついて邪魔になることで、方言で言えば『まがる』と言うことである。

ある日、柔道の達人で御前試合に出場したことがある、屋島郵便局長の親戚の柏原某氏が、高松での用事がすんで夜遅くこの駅におりて、川の中の板橋を渡ろうと歩きはじめると、足にジャレつくものがあって歩きにくい。

   「ははぁ・・・、これはこの辺りに出没するという『足まがりの狸』だな」

と呼吸をはかって、思い切り蹴飛ばした。

するとどうだろう、狸かと思ったら松の根っこを蹴飛ばしていた。勿論怪我をしたがその程度は公表されなかったので、分からない。

 

新川出水の狸            語り部 山田守廣 

だいぶ前のこと、大藪松太郎さんが、奥さんの実家の法事に出席するため、小村に行って、御土産を沢山頂戴して暗くなっての帰り道、新川橋の萬納菓子店の東側の道を、北へ向かっている時、この頃この辺りに出る狸に化かされた。

手に持っている筈のお土産は盗まれ、東の空が白々とするまで、川の中を歩かされてしまった。

朝、仕事に行く友達がこれを見つけて、

   「おぉい、大藪さんそこで何しょんな・・・」

この声で目が覚めた大藪さんは、少し格好が悪かったのか、何事もなかったような顔をして帰って行ったと言う。

 

三軒古浜の大蛇           語り部 鎌野松吉 

だいぶ前のことになるが、浜北から帰る途中、八坂神社の御旅所の辺りへさしかかると、大谷川に架る五軒屋の石橋の上を大きな松の木が横たわっている。

何だろうと近寄って見ると、太さが一斗樽もある太い長い蛇が、三軒の浜(塩田)へ向かって這い下りるところであった。

頭は浜に着いているのに、尻尾はまだ石橋のだいぶ東にある。

「鎌野さん、そんな大きい蛇はおらんでしょうが・・・」

「いや、俺がこの目で見たんじゃけん間違いない」

筆者はこの話を聞いた時、本当だろうかと疑ったが、見た本人が言うのだから本当の話であろう。

佐々木義治氏もこの話を知っているという。

 

三軒古浜の大蛇           語り部 佐々木義治 

昔々という程遠くない大正の末頃、八坂神社の御旅所の西にあった三軒の浜に大蛇がおった。朝早く浜に行くと、浜の西の堤防から一尺位の幅でクネクネと浜の中を大蛇が通った跡があった。

誰かがいたずらにアテコを引っ張ったのではと言う大人もいたが、朝早く友達と浜へ行ってみると、確かに大蛇が通ったような跡があった。

 

ピタピタ              語り部 谷口辰男 

昔、琴電志度線の新川鉄橋の東から、三軒の落し橋までは松が生い茂り、昼でも気持ちの悪い所であった。ここを夜中に通ると、ピタピタと何者かが着いて来るような音がする。後ろを振り向いてはいけないことになっているので、今に、その正体がわからない。

この話は昔どこにもあった話で、その道筋に切腹自殺した人や、首吊り自殺があった家がある道を、このように言ったそうである。

このピタピタの道も、東は相引川に面しているし、西は新川であるから、昔この辺りで、水死した人がいたのかもわからない。

 

ササギ洗い             語り部 佐々木義治 鎌野松吉 

いつであったか、大橋前源平会の新年宴会の席上で、佐々木義治氏と鎌野松吉氏が話しているのを聞いた話。

佐々木 「まつよっさん、昔、お前んとこの横の溝で、夜中になつたら、何か洗っとるような音がするいう噂がたったの」 

鎌 野 「おぉ・・・、おらが若い頃、そんな話があったの」 

佐々木 「あれは、何の音じゃったんかいの」

鎌 野 「あの音は、狸がササギを洗ろとった音じゃ言う、大人もおったの」

佐々木 「ほんなら、あんな夜中にササギを洗う人間はおらんけん、狸か貉が砂でも洗ろとったんかいの」

鎌 野 「そんな・・・、狸や貉が砂を洗うじゃいうことあるもんか、うちの東手に生えとった笹が風で鳴っとったんじゃ」 

佐々木 「おらは、何かがおったと思うがの」

何時までたっても、結論がでないのでこの位にしておく。

(註)妖怪漫画家水木しげる氏は、東北地方には昔から『座敷わらし』『河童』『小豆洗い』など色々な魔物や妖怪が沢山いたという。

 

三軒の落し橋の小豆洗い       語り部 山田守廣 

昔、三軒の落し橋に、小豆洗いがおった。小豆洗いというのは、夜遅くその場所を通ると小豆をあらうような音をさせるので、このように言われている。