屋島の生成(神話)

伊弉諾・伊弉冊の2神が天の命を受けて、玉で美しく装飾した矛を持ち、天の浮橋に立ち海の潮を掻き回して引き上げた時、矛の先から垂れ落ちた塩が積って島となった。

これを自凝島(オノコロジマ・屋島の初めの名)と言う。

   

この種の神話は、全国各地にあるらしく、淡路島にも全く同じ神話がある。

淡路島では、海をかき混ぜて、矛の先から垂れた海の塩が積り山となったのが先山(センザン・標高448m)で、この山は日本列島に最初に出来た山であると言う。先山の東麓には伊弉諾神宮が祀られている。

 

 屋島の名の由来(神話)

伊弉諾・伊弉冊の2神が初めて自凝島に降りてこられ、八尋の御殿を建ててお住みになったので、八尋島(ヤヒロジマ)と称していたが、後にこれを略して八島(ヤシマ)と言うようになった。と浦生の鵜羽神社の社記にあると言う。先年、浦生の物知りの長老に尋ねると、この神社にそのような社記は無いと言う。

 

(神話)

豊玉姫が彦火火出見尊にお願いして、浦生の海浜に八尋の産殿を造った時、葺き上がるのを待たず産殿に入り、浦生の鵜羽神社の祭神となった鵜茅不葺合尊をお産みになられたので、これより八尋島と言うようになり、後に八島と言うようになったという。

 

 

屋島の山容を遠望すれば屋根の形に似ているので、屋島と言うようになったと、高松藩儒梶原景淳は考証している。