八 坂 神 社  

 

祭 神  速須佐男命

昔々、屋島西町が西潟元村といわれていた頃よりまだ前から、山田郡喜多郷(現・高松市木田町)に属していたので、喜多郷の氏神様の八坂神社は、屋島西町の大橋前地区の人々にとっても氏神様であった。

木田郡誌によれば、寛文年間(1661ー1672)に大庄屋が書き残したものによると、牛頭天王は東海道は尾張国海西郡門真庄津島の津より、楠木に乗って木太村の入江郷(木太村の昔の呼び名)に流れ着いた。

人々がこれを見て、不思議なことだとそれを引上げたところ、その夜、領主や住民が同じ夢を見た。皆が話し合った内容は次のようであった。
「我は牛頭天王なり。我尾張国より流れ寄り、当国の衆生の為に 済度せんと此所に垂跡せり。末世において崇敬せし輩は、人馬に至るまで疫病疫癘は全く消除すべし。軍陣勝負の時は、後に立ち相守るべし」と 

それより、人々は奇代のことであると喜んで、私など信仰したら、願望が成就しないことはなかった。

そのため、大社を建て、入江郷を奇代之郷(喜多郷)というようになった。

 

又、中山城山著『全讃史』には、木田郡誌と内容は殆ど同じであるが、その相違点をあげてみよう。

 正暦元年(990)八月八日、海上に浮き筏が現れた。

 筏の上に甕が乗っていた。

 里人の夢に現れたのは、形は夜叉(鬼)のようで頭に角を戴いていた。
 夢のお告げは、「汝等が我を祀ることができたら、病気はことごとく除され、長生きできようぞ」

 浮き筏が到着した日を祭日とし、それが現れた所を影向塚という。
 筏に乗っていた甕で酒を醸すと、辛さ甘さが相半ばしてよい味であったが、その後大水に流されて爪田河の下流に没した。
(註)爪田河は、昔々、新川・春日川・詰田川が一本の川であったことから、木太の八坂神社に最も近い詰田川を流れ下ったものであろう。甕が没した所は、『甕ケ淵』と言われ、現在の屋島の八坂神社の場所であるとの説がある

 

屋島の古老が書き残した古文書によれば、西潟元村は、喜多郷に属していたので産土神は、朱雀天皇承平六年(936)八月勧請した喜多郷の八坂神社であった。元来、西潟元村は喜多郷の北東隅にあって地況的に遠く、折々に新川・春日川等が出水のため、祭日に参拝することが困難であったので、一条天皇正暦元年(990)八月、屋島の現在地に御分霊を勧請した。明治維新までは牛頭天王と称していたが、明治二年三月社号を、八坂神社と改称した。

以上の記録により、屋島に八坂神社が勧請された理由や、勧請された年はほぼ判明したが、その当時は、初めただ単に土盛りしたものに御幣を立ててあったものか、小さい社を建ててあったものかはわからないが、その後建立された社殿が老朽化して、全面的に平成六年に改築され、九月一八日落成した。この時、宮宇地登総代会長に旧社殿の建立年について尋ねると、磯部宮司家にも、棟木にも記録がなかったので、分からなかったそうである。

八坂神社境内末社 10社(通称・小宮)

天 満 神 社

  祭神 菅原道真公

由緒 勧請年等不詳 明治22年7月15日西潟元村字宮西1559番地 御殿波松、谷本文一宅前より願済により八坂神社境内へ遷宮

  祭日 古くは9月25日を4月12日に改められる

山 下 神 社 別称八王神

  祭神 大山祇命

  由緒 勧請年等不詳 大正11年西潟元村字谷東398番地 屋島小学校上より八坂神社境内へ遷宮

  祭日 古くは10月19日を4月12日に改められる

金 刀 比 羅 神 社

  祭神 大巳貴命 

由緒 勧請年等不詳 大正11年7月7日西潟元村字浜畠2257番地 中筋不動尊北東山中の金刀比羅神社と、西潟元村字御殿子浜の堤防の琴平神社を合祀八坂神社境内へ遷宮

  祭日 古くは金刀比羅神社は9月25日・琴平神社は10月10日を4月12日に改められる

熊 野 神 社

  祭神 速須佐男命

  由緒 勧請年等不詳 大正11年西潟元村字成久1670番地 旧大橋前会堂地より八坂神社境内へ遷宮

  祭日 古くは10月25日を4月12日に改められる

幸 神 社  別称足長神様

  祭神 猿田彦命 大巳貴命 須佐男命 大山祇命

  由緒 勧請年等不詳 大正7年2月8日西潟元村字成久1697番地 現大橋前太鼓台格納庫の地より八坂神社へ遷宮

  祭日 古くは9月15日を4月12日に改められる

斧 神 社  別称木割権現

  祭神 大山祇命 大海津見命

  由緒 勧請年等不詳 大正7年西潟元村字宮西1564番地 八坂神社御旅所の地より八坂神社境内へ遷宮

  祭日 古くは9月12日を4月12日に改められる

荒 神 社

  祭神 大山祇命

由緒 勧請年等不詳 大正11年7月7日西潟元村字宮西1514番地 山地栄吉宅の北百所有地より八坂神社境内へ遷宮

  祭日 古くは10月27日を4月12日に改められる

若 宮 神 社

  祭神 宇迦之御魂神

  由緒 勧請年等不詳 過ぐる年西潟元村字浜畠1571番地 元塩田労働組合地より八坂神社境内へ遷宮

  祭日 4月12日

塩 釜 神 社

  祭神 大海津見命 

由緒 勧請年等不詳 大正11年西潟元村字古浜2104番地 大久保宅東久本南大久保所有地より八坂神社境内へ遷宮  

祭日 古くは9月19日を4月12日に改められる

萬 神 社

  祭神 八大龍王大神 

由緒 勧請年等不明 明治元年神仏分離令が公布された時、西潟元村字谷東八丈池北東側の地に合祀していたツバクロ尊は、屋島道桜庵前へ移転、八王神は八坂神社境内へ遷宮 

  祭日 4月12日