讃 岐 の 屋 島 ・ 年 表


  57

 光武帝から金印をあたえられる
 188  卑弥呼が邪馬台国の女王になる
 239  卑弥呼、魏に使いを送る
 391  海を渡り、高句麗と戦う
 587  蘇我馬子が物部守屋を滅ぼす
 593  厩戸皇子(聖徳太子)が摂政となる
 603  聖徳太子、冠位十二階制定
 604  聖徳太子、十七条憲法制定
 607  遣随使派遣
 645  大化の改新
 646  大化改新の詔
 663  白村江の戦い
 667  屋島城 朝鮮式山城を築いて唐の侵入に備えた
 「日本書記」には「倭国高安城・讃吉国山田郡屋嶋城・対馬国金田城を築く」と書かれている
 672  壬申の乱
 701  大宝律令の制定
 710  平城京遷都
 712  古事記ができる
 720  日本書紀ができる
 741  国分寺、国分尼寺建立の詔
 752  東大寺大仏開眼供養会
 755  屋島寺 北嶺に唐僧鑑真和尚が創建
 781  桓武天皇即位
 784  長岡京遷都
 794  平安京遷都
 797  坂上田村麻呂を征夷大将軍に任ずる
 805  最澄(伝業大師)天台宗開く
 806  空海(弘法大師)真言宗開く
 810  屋島寺 弘法大師が現在の地に移し、南面山千光院屋島寺と号した
 819  空海、金剛剛寺創建
 842  承和の変
 866  応天門の変
 894  遣唐使廃止
 901  菅原道真が大宰府に左遷される
 935  承平の乱(平将門の乱)
 939  天慶の乱(藤原純友の乱)
 969  安和の変
 990  八坂神社 現在地に御分霊を勧請した
1016  藤原道長が摂政になる
1051  前九年の役
1053  平等院鳳凰堂が完成
1083  後三年の役
1146  平清盛が安芸守になる
1156  保元の乱
1159  平治の乱
1167  平清盛が太政大臣となる
1180  源頼朝が伊豆で挙兵
1181  平清盛が死去
1184  一の谷の戦い
1185  屋島檀の浦の戦い 2月19日〜21日   3月24日 壇ノ浦の戦い
1189  藤原泰衡が義経を殺す
1192  源頼朝、鎌倉幕府開く
1199  頼朝が死去、頼家が家督を相続
1202  頼家が征夷大将軍となる
1203  実朝が征夷大将軍、北条時政が執権となる
1219  公暁が実朝を殺し、源氏が滅亡
1221  承久の乱
1232  御成敗式目制定
1274  文永の役 (元寇)
1281  弘安の役 (元寇)
1297  永仁の徳政令
1324  正中の変
1331  元弘の変
1333  鎌倉幕府滅亡
1334  建武の新政
1338  足利尊氏、室町幕府開く
1392  南北朝統一
1467  応仁の乱始まる
1485  山城の国一揆起こる
1569  織田信長、上洛
1571  織田信長、比叡山焼き討ち
1573  室町幕府滅亡
1582  本能寺の変  太閤検地始まる
1584  長宗我部元親が、讃岐国を支配下におく
1585  豊臣秀吉が四国に兵を送る  喜岡城が落城、香西氏滅亡する
 仙石秀久、豊臣秀吉より
讃岐国を与えられる
1586  仙石秀久、九州戸次川で島津軍と戦い大敗、讃岐国を没収される
1587  尾藤知宣、豊臣秀吉より讃岐国を与えられるが、没収される
 生駒親正、豊臣秀吉より
讃岐国を与えられる
1588  生駒親正、高松城築城に着手
1590  豊臣秀吉の天下統一
1591  千利休切腹 太閤検地がはじまる 豊臣秀吉、朝鮮出兵を命じる
1600  関ケ原の戦い
1603  徳川家康が征夷大将軍となり江戸幕府を開く
1609  島津氏による琉球王国侵攻
1614  大坂冬の陣
1615  大坂夏の陣  徳川家康が豊臣氏を滅ぼす
1634  長崎に出島造成
1637  島原の乱 (〜1638)
1640  生駒騒動おこる、藩主高俊が出羽国に移される
1642  松平頼重、生駒家にかわり東讃12万石を与えられる
1647
 相引川 生駒氏の時に埋められていたが、松平頼重公の命により造成された正保4年)
1687  生類憐れみの令 (1708年まで繰り返し出される)
1687  貞享4年 「四国遍路道指南」出版  四国遍路の初のガイドブック  真念
1689  元禄2年 「四国遍礼霊場記」出版  各札所の見取り図・由来などを記した本
  真念が資料や情報を提供、寂本がそれらをまとめ著した         
1690  元禄3年 「四国遍礼功徳記」出版  真念が企画 高野山の学僧、寂本が序文とコメント
 (元禄2年との説もある)
1702  赤穂浪士の討ち入り
1716  享保の改革  享保の大飢饉
1721  小石川養生所完成
1747  平賀源内、高松蕃の薬坊主となる
1755  梶原景山、屋島潟元に30町歩の亥の浜塩田を開く
1787  寛政の改革
1774  杉田玄白「解体新書」刊行
1798  本居宣長「古事記伝」完成
1800  伊能忠敬、蝦夷地の測量
1801  伊能忠敬、伊豆から陸奥の沿岸の測量
1803  伊能忠敬、東海道・北陸道・佐渡島の沿岸の測量
1805  伊能忠敬、伊勢・紀伊・山陽・山陰地方の測量
1808  伊能忠敬、阿波・土佐・伊予・讃岐を測量 3月16日〜11月8日
      讃岐の測量 9月9日〜11月4日 (木田郡の測量 10月24日〜26日)
1815  屋島神社 讃岐守頼儀公が、現在地に移した
1825  文政の外国船打払令
1837  大塩平八郎の乱
1850  太平天国の乱
1854  安政の大地震
1863  高松藩士藤川三渓、龍虎隊を組織して長崎の鼻に砲台を築く
1868  朝廷、王政復古を宣言  明治維新  鳥羽伏見の戦い(戊辰戦争起こる)
 江戸を東京と改称する  明治と改元  会津藩降伏  榎本武揚ら蝦夷地を占領
1877  西南戦争
1885  内閣制度発足  伊藤博文総理就任


1929  屋島ケーブル 開通
1961  屋島ドライブウエイ 開通
1969  屋島山上水族館 オープン
1976
 四国村 開設
2004
 屋島ケーブル 休業 (10月15日〜)