所在地 高松市屋島東町字明神1060 池の規模 堤長 56メートル 堤高 4.0メートル 満水面積 0.23ヘクタール 貯水量 5.0千立方メートル かんがい面積 上鴨池・下鴨池・新池とともに1.8ヘクタール 築造の由来 江戸時代築造 昔、この辺りに鴨池家が住んでいたので、上鴨池と言う。その後、鴨池家は岡山県津山市に移住、醤油会社を起こしたが倒産した。 改築の経緯 不明 水利慣行 開池より、上鴨池及び下鴨池へ七分の取り水の権利があった。 水利紛争 この付近の田畑は、全部高松町原田家の所有であったから紛争は無し。 逸話伝説 無し 岡 幸雄
091 明神上池(通称・明神小池) 備考 平成6年から7年にかけての明神池改築の時、埋め立ててため池無し。 加木元正
所在地 高松市屋島東町字明神1075 池の規模 堤長 35メートル 堤高 3.2メートル 満水面積 0.10ヘクタール 貯水量 0.2千立方メートル かんがい面積 0.4ヘクタール 築造の由来 江戸時代築造 改築の経緯 平成6年から7年にかけて全面的に大改修した。 水利慣行等 無し 逸話伝説 無し 加木元正
所在地 高松市屋島東町字明神1079 池の規模 堤長 60メートル 堤高 4.0メートル 満水面積 0.24ヘクタール 貯水量 5.2千立方メートル かんがい面積 上鴨池・新池とともに1.8ヘクタール 築造の由来 江戸時代築造 昔、この辺りに鴨池家が住んでいたので、下鴨池と言う。 改築の経緯 昭和22年頃に前づきをしたことがある。 水利慣行 開池より上鴨池及び下鴨池へ七分の取り水の権利があった。 水利紛争 この辺りの田畑は、全部高松町原田家の所有であったから紛争は無し。 逸話伝説 無し 岡 幸雄
所在地 高松市屋島東町字明神 池の規模 堤長 74メートル 堤高 2.7メートル 満水面積 0.13ヘクタール 貯水量 1.9千立方メートル かんがい面積 0.32ヘクタール 築造の由来 江戸時代築造 このため池は相引川の東の河口に近かったためか、昔、満月の夜、蛸が海から上がってきて、付近の畑のナスビを食べていたので、タコミ池とよばれていた時期があると言う。 改築の経緯 昭和53年頃の台風により堤防が損傷したので、東側及び北側の堤防を改修したが、記録が無いので詳細不明。 水利慣行等 不明 実話 1 昔、臍の緒がついたままの赤ん坊が投げ込まれて水死したことがある。 2 昔、大人の女性が投身自殺したことがある。 3 昔、四国八八ケ所を巡礼する遍路が、このため池の辺りで行き倒れとなった。業病を直そうとしての巡礼であったが、目的を達成することもなくこの地に果てるとは、いかにも哀れであると地域の人達が小さい仏の石像を作り、お堂の中の地蔵菩薩の横に建立した。遍路が「私は九州の〇〇房太郎ですが、姓は忘れてください」と、悲しい言葉を残して仏の御元に去っていったこの悲痛な遺言のとおり、村人はこの小さい墓に「房太郎」とのみ刻んで今も誰かが花をたむけている。 4 昭和時代に、近くの68才になる老婆が投身自殺したことがある。この老婆を供養するため、縁者が高さ約50センチメートル位の後背舟型地蔵菩薩石像を、池の東北隅に建立している。 伝説 昔々、物凄い台風が四国を襲った時、このため池の北側にある小川に山から土石流が流れてきた。台風が過ぎ去って村人が小川を見ると、上部は約20センチメートル四方、高さは約60センチメートルの石が、土石流とともに2個流れてきていた。村人は、寿永四年(1185)2月19日、20日の屋島の源平合戦で戦死した武将を悼んで祀られたものであろうと、懇ろに池のほとりにお祀りした。この石は、池の東北隅に地蔵菩薩石像が祀られている小さいお堂の右側に、四文字が刻されているが、摩滅して判読できないものが祀られ、左側には「阿開(間)如来」と刻されているものが祀られている。左側のものはアカンニョライと称されて、今も地区の人達のお参りが絶えないと言う。 木村音秋 実話と伝説は木村サカエ
所在地 高松市屋島東町字新開1150−1 池の規模 堤長 35メートル 堤高 2.7メートル 満水面積 0.04ヘクタール 貯水量 0.5千立方メートル かんがい面積 宅見池と併せて約0.5ヘクタール 築造の由来 宅見池の補助池として、江戸時代に築造。 改築の経緯 無し 水利慣行 昔、線香で水の配分をしていたと聞いたことがあるが、その方法は不明。現在は無い。 水利紛争 昔、紛争があったと聞いたが詳細は不明。 逸話伝説 無し 日下 茂
所在地 高松市屋島東町字藤目1186 池の規模 堤長 25メートル 堤高 1.7メートル 満水面積 0.15ヘクタール 貯水量 1.4千立方メートル かんがい面積 約0.07ヘクタール 築造の由来 江戸時代築造 昔からこのため池は、蓮が沢山はえていたので、村人は蓮池と呼んでいた。 改築の経緯 平成6年頃堤防の改修工事をしたが、詳細はわからない。新道山の手線造成の時、及び下水道管埋設工事の時残土で埋め立てて、昔の半分になっていると言う。 水利慣行等 無し 逸話伝説 無し 備考 このため池は、相当昔から池一面に蓮がはえてその蓮根は柔らかく、その美味しさは栗に例えられるくらいで、時期がくれば村人がこぞって楽しんでいたが、何時の頃からかバッタリとはえなくなっていた。これが約30年くらい前から突然はえてきた。蓮は千年も土に埋もれていても再び芽を出すものだとは聞いているが、何とも不思議なことであると池の所有者は言う。 木村 勝
所在地 高松市屋島東町字平尾1280 池の規模 堤長 70メートル 堤高 4.0メートル 満水面積 0.24ヘクタール 貯水量 5.2千立方メートル かんがい面積 平木池と併せて約0.8ヘクタール 築造の由来 江戸時代築造 池名は、昔この辺りに法泉寺と言う寺があったので、法泉池と言うようになったとの言い伝えがあるが、寺跡はわからない。 改築の経緯 ため池の内壁のブロック工事をしたが、その年等詳細は不明。 水利慣行等 無し 逸話伝説 無し 平木一二三
所在地 高松市屋島東町字平尾1281 池の規模 堤長 23メートル 堤高 3.0メートル 満水面積 0.04ヘクタール 貯水量 0.6千立方メートル かんがい面積 法泉池と併せて約0.8ヘクタール 築造の由来 江戸時代築造 改築の経緯 内壁のコンクリート工事をしたが、改築年等詳細不明。 水利慣行等 無し 逸話伝説 無し 平木一二三
所在地 高松市屋島東町字平尾1284 池の規模 堤長 51メートル 堤高 3.7メートル 満水面積 0.10ヘクタール 貯水量 2.0千立方メートル かんがい面積 0.15ヘクタール 築造の由来 江戸時代築造 改築の経緯 新道山の手線造成の時、堤防のすそを石垣に、上部はコンクリート工事実施。 水利慣行 慣行は昔あったと聞いたが今は無く、畑が少ないので、必要な時皆が勝手に使用している。 逸話伝説 ため池の堤防上に地蔵菩薩石像があるが、その由緒は知らない。 掛平国明
100 不動下池 備考 埋め立てて、桃地となっている。 木村美都子
101 聖代上池 所在地 高松市屋島東町字各下1332−1 備考 埋め立ててため池無し 山口恭弘
所在地 高松市屋島東町字各下1333 備考 受益者無し。 山口恭弘
所在地 高松市屋島東町字各下1343 池の規模 堤長 31メートル 堤高 3.0メートル 満水面積 0.07ヘクタール 貯水量 1.1千立方メートル かんがい面積 無し 築造の由来 江戸時代築造 改築の経緯 不明 水利慣行等 不明 逸話伝説 無し 備考 現在の管理者になってより田畑の耕作をしていない。 大西キヨヱ
所在地 高松市屋島東町字各下1351 池の規模 堤長 28メートル 堤高 3.0メートル 満水面積 0.04ヘクタール 貯水量 0.6千立方メートル かんがい面積 0.12ヘクタール 築造の由来 江戸時代築造 改築の経緯 無し 水利慣行等 無し 逸話伝説 無し 大西頼久
所在地 高松市屋島東町字各下1356 池の規模 堤長 20メートル 堤高 3.0メートル 満水面積 0.08ヘクタール 貯水量 1.3千立方メートル かんがい面積 約0.05ヘクタール 築造の由来 江戸時代築造 改築の経緯 不明 水利慣行等 無し 逸話伝説 無し 備考 ため池の周囲は放置状態で雑木笹竹が密生して、その全貌見えず。 大西頼久
106 藤本池 所在地 高松市屋島東町字各下1362−1 池の規模 堤長 48メートル 堤高 3.0メートル 満水面積 0.09ヘクタール 貯水量 1.4千立方メートル かんがい面積 0.1ヘクタール 築造の由来 江戸時代築造 改築の経緯 不明 水利慣行等 昔はあったと聞いたが、今は無い。 逸話伝説 無し 備考 殆ど放置状態で、雑木笹竹が密生し池の全貌見えず。 大西頼久
所在地 高松市屋島東町字西藤目1369−1 池の規模 堤長 64メートル 堤高 3.2メートル 満水面積 0.18ヘクタール 貯水量 3.1千立方メートル かんがい面積 0.8ヘクタール 築造の由来 江戸時代築造 改築の経緯 平成8年、底泥さらいと堤防の前づき工事を実施。 水利慣行等 不明 逸話伝説 無し 大西頼久
108 木村池 所在地 高松市屋島東町字西藤目1395 池の規模 堤長 20メートル 堤高 3.0メートル 満水面積 0.04ヘクタール 貯水量 0.6千立方メートル かんがい面積 0.2ヘクタール 築造の由来 江戸時代築造 改築の経緯 無し 水利慣行等 無し 逸話伝説 無し 備考 ため池はあるが、長期間耕作していない。 木村 昇
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