5 板 碑

屋島東町檀の浦立石港の北西隅にある。

庵治石(花崗岩・高さ約1.5メ−トル幅下部約1メ−トル)を用い上部に梵字蓮弁を彫刻をし、

その下に、 

 『慶長十三年十月二十四日洲崎助七(州崎宗助)』と彫刻してある。これは石塔婆の一種であって、亡者の追善供養の為に建設されたものである、とある。


板碑は関東地方において、鎌倉時代より室町時代にかけて流行した。
関西地方においては、極く稀に見られものである。


平成13年現地で調査したところ、太平洋戦後立石港は度々改修されたので、防波堤・岸壁の岸線が多少変更され、また、土地造成のため板碑は内陸の道路縁に移動し、碑文の文字も相当摩耗しているうえに、深く埋められているため、「洲とサンズイに嵜」の2字のみしか判読できなかった。