6 赤牛崎(アカバザキ) 
 

屋島東町三崎にある。

屋島源平合戦の時、源氏が宇龍ガ丘に陣をしいて屋島の平氏を攻めようとしたが、源平両陣の間は約3キロメ−トルの海の為、源氏の兵が渡ることができなかった。この時、源氏の武将後藤兵衛実基は、赤牛2頭を放して海底の深さを計って浅瀬を知り、鞍掛松の辺りより源氏の武将が50騎ばかりで、屋島の館に攻め込んだ。この時、実基の子及び佐藤継信、忠信兄弟も参加したといわれている。この牛が泳ぎ着いた所を赤牛崎という。今この場所に牛を祀る牛塚がある。

赤牛崎のことを昔は黄牛崎といっていたと全讃史にあり、古い絵地図にもある。

 

『全讃史』

昔は相引から海水がめぐり、徒渉りが出来なかったので島といっていた。当時平家がその辺の舟を取り上げたので、義経は悩んでいたところ、高松の里から黄牛が来て渡るのを見て、浅瀬であることを知り、そこを通らせて軍を渡したという。

そこを黄牛崎(あめがさき)と言い。その牛は千疋で、阿野南の千疋からでたとある。
今に牛子堂(うしのこどう)がある。と記してある。