16 可正桜 
 

屋島寺四天門前にある。

寛永5年(1628)、高松藩主松平頼重公の寵臣松平半左衛門可正が、老後は屋島で楽しもうと桜の苗7株を植えて可正桜と命名した。その後この寺に隠棲すること数年にして没し、この時、6株まで枯死し只1株だけが残り、現在のような大樹になった。 

 

此の寺の庭に桜を植えおかん    わが後の世の花がたみなり   

花の時人きてもしも問ふならば   可正桜と名を知らせてよ   

空蝉のからはいづこに埋むとも   名をは屋島の峯に置くなり  

 

墓は屋島寺墓地の側にある。  

松平半左衛門可正の墓

親正新助、諱改可正、関原御陣之供奉。其後於伏見家康公蒙御勘気大阪御陣之時被召出両御陣供奉。家康公他界之時被付水戸藩高松藩祖頼重公供奉。寛永十七年先発高松来。任老後楽詩歌遊屋島寺有常。寛文九巳酉年八月十五日卒

法名 実相院法山可正居士