屋島北嶺 千間堂跡 |
平成13年11月11日 高松市教育委員会による現地説明会が実施された。(この時の資料を参考にしてまとめています。) 平成10年度から発掘調査の結果として、これまでは伝承の域を出なかったこの千間堂跡が寺院の跡であることが判明した。 礎石建物跡 土壇 東西8.5m 南北6.6mの範囲で高まりがある。上部の東西6.5m 南北4.5mの範囲が平坦になっている。 礎石の大きさ 一辺60cm程度のものが平均 建物の規模 東西3間 南北2間 推定される柱の距離 2.2m 中央に仏像を安置しやすい3×2間の間取りで南面することから、仏像を安置する仏堂であった可能性が非常に高い。 土壇から出土した多口瓶や礎石建物跡周辺から出土した遺物の時期は9世紀後半から10世紀前半のものが多い。 火葬墓 安山岩を集石したもの、中心部の2×2mの範囲を安山岩で方形に区画している。 安山岩を取り除いたところ、下から南北75cm 東西60cm以上の土坑が確認された。土坑の上層から土師器杯のみ出土した。 集石中からは灰釉陶器・土師器・須恵器などが出土しているが、これは火葬墓を作る際に掻き集められた土に混入していたものと考えられる。 出土遺物の検討により13世紀代のものであり、礎石建物跡の時期から300年程後に作られており、寺との関係は不明。 |
礎石建物復元想像図 (高松市教育委員会作成)
屋島北嶺全景 (平らな部分の真中あたりに千間堂跡がある)
現地説明会の集合場所の様子 (右手方向の林の中に千間堂跡がある)
千間堂跡入り口
東側から見た遺跡全景(手前が礎石建物跡)
西側から見た遺跡全景 (手前の集石部分が火葬墓)
西南の角から見た礎石建物跡
礎石建物跡を南側から見た様子
発掘調査後「集石部分」は埋め戻しされている
(四角く囲まれた所・写真は発掘時の様子)
火葬墓について説明の様子
手前は礎石建物跡
火葬墓 (礎石建物跡より300年程度あとに作られている)
出土遺物の説明
須恵器(すえき) 多口瓶(たこうへい) 須恵器杯(すえきつき)
杯蓋(つきぶた) 土師器甕(はじきかめ) 鉄釘(てつくぎ)