20 射落畠

総門碑の東、八栗道に突き当たる手前コトデンバス八栗口停留所にある。
源平合戦の時、このあたりは激戦場であったが、源氏の佐藤継信は義経の身代わりとなって、平家の猛将能登守教経のため馬上から射落とされた所で、そこに4メ−トルちかくの石碑が立っている。
これは継信30世の孫佐藤信古氏が、昭和6年5月自ら撰文をして建立したものである。佐藤信古氏は、この時、継信の墓とその愛馬薄墨(太夫黒)の墓も同時に建てている。

昔はこの碑の周囲は蓮池でめぐらしていたが、平成13年現在池は無い。
もともと、この池は海のすぐ近くであったという。

佐藤三郎兵衛継信は源氏の四天王の一人で、福島市飯坂温泉近くの大鳥城の城主佐藤基治の長男で、弟四郎兵衛忠信は兄の継信と共に義経に従って、屋島の合戦に参陣した。同じく源氏の四天王の一人であった鎌田光政も、継信と同じ日にここで戦死している。




全  景











太夫黒碑(薄墨)