佐藤継信墓地の中の佐藤氏念祖碑のすぐ横にある。
太夫黒は、義経が後白河法王から賜った秘蔵の名馬で、合戦の時義経は、自分の身代わりとなって討ち死にした継信の菩提を弔ってもらった謝礼として、志度寺の覚阿上人に施したといわれている。 後になって、主人継信を慕うのあまり逃げて継信の墓前に倒れ伏したという。太夫黒が死んで後ここに埋葬したという。
元禄16年(1703)松平頼常公は、儒臣十河保定に命じて、太夫黒の碑銘を作らせたが、まもなく公が死去したので建碑に至らないで、その碑文は屋島寺に残っている。
太夫黒の墓