屋島の東より西へ、麓を囲むように流れる川で、潮汐が別れて満干し、謡曲屋島に「相引く汐」とあるのはこの川のことである。 屋島合戦の頃は幅が相当広く海のようであったが、生駒氏が讃岐の守護となったとき、ここに築堤して塩田にしていたが、後、東讃岐の藩主となった松平頼重公が復元して、現在は昔の相引川の面影が残されている。
敵味方引分れぬる武士の
しるしか今に相引の汐
相引の汐干に見たり平家蟹
相引川・西の河口 相引川・東の河口